主のもとに休む
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。(マタイによる福音書 / 11章 28節)
この、みことばは聖餐の食卓を囲むときに読まれるものです。この世の勤め、あるいは信仰の戦いにへとへとになって教会に帰ってくる。そういうものに対して語られたのでしょうか。そういうこともあるかもしれない。しかし、そればかりではないのです。
このことばは、主イエスが主を通さなければ父なる神を知ることはない、といわれた中で語られたことばです。疲れたもの、主のを負うものは、この世の勤めや信仰の戦いでへとへとになっている人とは限らないのです。むしろ、自らの罪の重さに耐えかねているわたしたちに向けて語られているのです。
神様の方を正しく向いていられなくなる。この世の誘惑に負けると言うこともあるでしょう。あるいは、信仰に励んでいるつもりで、実は自分のことにしか目が開かれていないと言うこともあるのです。「がんばる」と言うことは「我を張る」、つまり自分の努力で何とかしようと踏ん張っていると言うことなのです。神様への信頼を忘れてはいませんか。
主イエスは言われました。
わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。(29-30節)
自らの罪の重さに疲れてしまって、神様が見えなくなっているものは、私の所に来なさい。私を信頼して、私のくびきを負って学びなさい。主に信頼して本当の安らぎを得なさい。本当の安息を学びなさい。といわれているのです。それは決して難しいことではありません。主のかけられるくびきはおいやすく、荷は軽いので、それに押しつぶされることはないと約束されているのですから。
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