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2006年12月

2006.12.21

滅びる者は一人もなく

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネによる福音書 / 3章 16節)

「神がその独り子をお与えになった。」これがクリスマスの出来事です。
一般にクリスマスと言えば、イエス・キリストの誕生日と知られているのですが、わたしたちはそれをわたしたちの誕生日のように「おめでとう」と祝うのではありません。
神のひとり子が肉を取ってこの世に来られた。それが、その御子を信じることによって全ての人が罪から救われるためであること。この喜びの出来事、奇跡をわたしたちは自分の身に起こったことであると信じて受け入れるのです。
 クリスマスには教会でも様々な行事があります。教会学校の子どもたちが降誕劇を演じ、24日にはろうそくの灯火のもとで礼拝をする教会も多いと思います。子どもたちのかわいい演技を楽しみ、ろうそくの美しい雰囲気に酔いしれるかもしれません。
 しかし、決して忘れてはいけないのです。「神がその独り子をお与えになった。」これがクリスマスの出来事であると。それは「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るため」であり、神様はそれほどまでにこの世を愛されたのだということを。この罪の世を呪うのではなく、愛されていることを。

2004年12月18日に公開したものの再公開です。

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2006.12.16

祝福の挨拶

マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。(ルカによる福音書 / 1章 41節 )

天使ガブリエルから、御子を宿すというお告げを聞いたマリアは、同じく神の定めによって身ごもっている親類のエリサベトをたずねます。神様が人間を救おうとしてなさった大いなる計画。その計画に身を献げるように二人の女性は神様の定めを身に引き受けました。エリサベトは洗礼者ヨハネの母となり、マリアはイエスの母となったのです。
二人の胸の内にあったのは、子を宿した事への喜びよりも、神様の定めの中に入れられているという畏れだったかもしれません。
「献身」という言葉があります。文字通り身を献げるのですが、神様のお召しにしたがって生きるということです。いってしまえば簡単なことですが、実際はどうでしょうか。
伝道者になるために勉強をしている神学生が良くぶつかるのは、「これこそは神様のお召しだ」と思って献身、神学校に行くようになったのに、その召命がぐらつく時です。召命の思いは本当に神様からのお召しだったのが、単なる自分の思いこみであったのか。一人では確かめようがないのです。しかし、神様は人間を一人にはしておかれませんでした。マリアにエリサベトがいたように、エリサベトにマリアがいたように、互いに執り成しあうものを備えてくださっているのです。神学生にとっては同じ神学を学ぶ友かもしれません。神学校の教授かもしれません。所属する教会の牧師かもしれません。執り成しあう人がいれば、召命が本物の時はその危機を乗り越える助けを与えられますし、もし、その召命が自分の思いからであれば、(それは伝道者になることではないにしても)本当に神様が召されている道に進む勇気を与えてくれるでしょう。
神学生ばかりではありません。わたしたちの日々の生活がすなわち、献身の生活なのです。神様に献げた生活なのです。その重さは、一人で担うものではないのではないでしょうか。
ルカによる福音書は、マリアの受胎告知までは静寂の中で物語を語りました。よけいな呟きを退けるかのように、ガブリエルはザカリヤの口を閉じました。マリアは思慮深くガブリエルの言葉を引き受けました。しかし、この祝福の挨拶から、一気に賛美の声が響き始めます。エリサベトは御霊に満たされて神をたたえ挨拶します。マリアは高らかに神をたたえる歌を歌います。
続く物語は洗礼者ヨハネの誕生です。ここでザカリアの口は再び開き、神をたたえる言葉がほとばしります。そして、クリスマスの物語。天使たちの大合唱が羊飼いたちのいるのに響くのです。ルカによる福音書はそこで終わらないのです。天使たちの合唱は再び登場するのです。それは、受難を前にした主イエスのエルサレム入城の物語。この物語に於いて主を迎えるエルサレムの人たちの口に再びこの賛歌が備えられるのです。
響き渡る賛歌、そして祝福の挨拶。わたしたちはこの喜ばしい響きが、わたしたちの救いの先取りであることを悟らなくてはなりません。わたしたちの救いのために来られた主イエス。なぜ、神様がそのひとり子をお与えにならなければならなかったのか。そのことをしっかり心にとめることは、祝福の挨拶から始まった喜びの響きを、もっともっと響かせるものになるのではないでしょうか。

(2004年11月16日に公開した記事の再掲載です)

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