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2007年5月

2007.05.05

聖なる者

あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています。(コリントの信徒への手紙一 / 6章 11節 )

「私は、○○さんにつく。」
「私は、××さんに従う。」
そう人々が言って、バラバラになりかけていたコリントの教会に書かれた手紙、それが「コリントの信徒への手紙」です。痛烈な皮肉を込めた言葉で、しかし、教会が分裂してはならない、主なる神において一つになれと、手紙の著者は語ります。

この手紙を、第一章から丹念に読んでみると、一つの鍵の言葉が浮かんでくるように思えます。
「聖なるもの」
そう、手紙の著者は、何よりも、コリントの教会の人々を、
「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。」(1:2)
と挨拶呼び、挨拶を送っているのです。

人は、生まれながらの罪人。しかし、今のあなたは違うだろう。あなた達は、キリスト・イエスによって聖なるものとされ、召されているのだ。その聖なるものの群れである教会が、どうして分裂して良いだろうか、と…。

今日の御言葉も同じことを繰り返し語っています。6章9-10節には、悪のリストが書かれています。手紙の著者は言うのです。「あなた方の中にはそのようなものもいた。しかし、今は違う。」と。

ここで、ギリシア語の聖書を見ると、
「しかし、あなた方は洗われたのだ、しかし、あなた方は聖なる者とされた、しかし、あなた方は義とされた、主イエス・キリストの名と私たちの神の霊によって」
となっています。手紙の著者は、「しかし」を3回繰り返し、あなたは方洗われたのだ、あなた方は聖なる者とされたのだ、あなた方は義とされたのだと、念を押すように語るのです。

決して、傲慢な意味ではなく、現代に生きるキリスト者は、このことを忘れてはいないでしょうか。神に召され、その霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされているならば、もはや、私たちは罪を重ねることをしてはならないと思うのです。神の御心を慮るのならば、全ての人々の平和を願い、そのためには忍耐を持って悪と戦い、御言葉をのべつ耐えることこそ大切なのではないでしょうか。

明日の主の日、世界中の、全ての人々の上に、イエス様の祝福がありますように。

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