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2007.08.13

平和の挨拶

その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。(マタイによる福音書 / 10章 12節 )

韓国の教会を訪ねる旅をしたことがある。韓国人留学生であった先輩が、通訳をかってでてくれて、楽しい、また、実りの多い旅だった。その先輩が、たずねる教会で必ずすることがあった。会堂にはいると、まず席の一つに座り、祈るのである。この地に立てられた主の教会に、祝福があるようにと祈っていた。ドイツでも、韓国からの留学生と友達になったが、彼のお別れの時の挨拶はこうだった。「神様の祝福があるように。」

主の祝福があるように。主の平安があるように。

韓国の友人に特有のことではない。キリスト者の挨拶なんだと改めて思った。いつでも、どこでも、主の祝福、主の平安を私たちは祈ることが出来る。いや、祈るだけではない。祈り求めることが出来る。それは、そこに神様の祝福がちゃんとある、神様の平和があるという確信に基づいているからである。

平和の挨拶を送ることは、主イエスが命じられていることなのだ。だから、信仰者は、ただの願望や、希望によって祝福や平和を祈るのではない。私たちが確信して祈るときに、主の祝福と平和が実現するからである。

8月にはいると、毎年のように戦争の話がいろいろなところで話題になる。あの敗戦の日から62年にもなっている。しかし、決して、今の時代が「平和なとき」とは言い切れない。未だに無差別の殺戮があり、無意味に人の血が流され、世の中は悲しみに満ちている。

しかし、私たちは、「だから神様なんかいない」とは言わない。それば絶望を求める言葉だから。私たちキリスト者は、人に会う毎に、人を訪ねる毎に、主の祝福と平安を祈る。それは、私たちに希望をもたらすから。

今日、この御言葉に触れたあなたに、主の平和がありますように。

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