誠実に生きる
結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはなりません。神は、みだらな者や姦淫する者を裁かれるのです。(ヘブライ人への手紙 / 13章 4節)
今日のみ言葉を考えてみましょう。ここで言われていることは、淫らな性的な関係のみを戒めているのではありません。夫婦の関係全てに気をつけよと言うのです。夫婦の関係は、「家族」という人間関係を作る核になるものです。それを汚してはならないと、手紙の著者は勧めています。それは、一人一人の人間が、神様によって作られ、命を吹き込まれた一つの人格として存在するからです。夫にとっても、妻にとっても、お互いが自分の同じように神の似姿として作られたものであること、神様の赦しの下に生きていると言うことをまず覚えることが大切なのです。ですから、一方が他方を、虐げるような関係ではいけないというのです。
教会では、結婚式の時に、二人に誓約を求めます。その誓いは、お互いが愛し合っているから、その愛の誓いをするのではないのです。神様が、この人を自分の伴侶としてお定めになった。そのことを受け入れて、互いが神様の下に生きることを誓うか、生涯お互いどうし仕えあうかと言うことを問われるのです。
特に、これから結婚し、新しい家庭を築いていこうという方たち、どうか良くこのことを考えて欲しいと思います。
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どの時代の、どのような人も一番恐怖を覚えるのは「死」でしょう。「死」は私を孤独にします。全てのものとの関係を切り離してしまうからです。
わたしたちの主イエスキリストは十字架の死と復活によって、「死」を滅ぼしわたしたちに永遠の命に生きることを約束されたと、言われています。これは決して「霊魂不滅」というような言葉で言われるものではありません。わたしたちは、ともする「霊」と「肉」を切り離して考えてしまうのですが、このような二元論からは主イエスに示された救いのみ業は理解し得ないのではないでしょうか。
ヘブライ人への手紙は、わたしたち人間が血と肉を持っているのと同様に、主イエスもそれらを備えられたと記しています。しかも、その理由は
死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、 死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるため
だというのです。霊と肉を切り離す二元論に立つならば、主の受肉は必要ないのです。しかし、主は肉を備えられた。そのことによって、主イエス自らが肉の滅びを支配されてしまってのです、見るべき方を見るために、命を与えてくださった神様を見あげることが出来るようになるために、主は死を滅ぼされたのです。




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