ゼファニヤ書

2004.03.21

神の前の沈黙

主なる神の御前に沈黙せよ。主の日は近づいている。ゼファニヤ書 / 1章 7節
kobito_lila.gif 預言者が告げていることは世の終わりです。世の終わり、主の日、神の怒りの日、神の裁きの日が近いというのです。この預言が語られた時代は、民が唯一の神を信じ、礼拝するのではなく、異教の神々をも拝んでいた時代です。信じられないことですが、このときに子供を神のいけにえ「人身御供」としてささげることも行われていたようです。そのような不信仰な民を、神は地上から一掃されると預言したのです。預言者の語る一言一言に注目すれば、耐え切れないような恐ろしい、悲しい預言であることは誰でもが理解できるでしょう。 「世界の破滅」をひとつの舞台として描くことは、小説であれ、映画であれよく行われていることです。そのひとつを思い出してください。世界の破滅、世の終わりを知った人々がパニックになり、叫び逃げ惑うシーンが必ず描かれています。「世の終わり」が告げられたとき、落ち着いてなどいられないのが人間の性であるということもできるかもしれません。 そこで預言者は語ります。
主なる神の御前に沈黙せよ。主の日は近づいている(7節)

「主の日」は恐ろしい世界の破滅を意味する日ではないのです。たしかに、神による裁きが行われる日ではありますが、滅びではなく救いの成就の日なのです。そのときに、神のみ前に沈黙せよと預言者は語るのです。神のみ前に沈黙し、自らの罪を告白し、その裁きを待つのです。
先週の記事にも書きましたが、その時に私たちはただ一人で神様の前に立つことはありません。私たちの主、イエス・キリストが私たちの傍らに立ち、私たちをとりなしてくださるのです。そのような仲保者を用意されたのは、ほかならぬ神様であります。
受難節の期間もだいぶ進んできました。神様の前に沈黙して、祈りましょう。

☆祈るために☆
「どのような祈ればいいのか」と思う方はありませんか。キリスト者であっても「祈りの言葉を失う」ということもあります。そのようなことで、悲しくなっている人はいないでしょうか。まず、主イエスが教えてくださった、「主の祈」を祈りましょう。もっと豊かに祈りの言葉を学びたいという方には、

「祈り」加藤 常昭 (著) 日本キリスト教団出版局
がお勧めです。
なお、「主の祈」も加藤常昭先生の「祈り」もFEBCのインターネット放送で朗読を聞くことができます。

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