聖書の読み方
そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。(使徒言行録 / 8章 35節)
世界のベストセラーといわれる聖書ですが、どのような読み方をされているでしょうか。ある人は物語として読み、ある人は文学作品として、ある人は歴史物語として、ある人は人生の教訓を語る者として読んでいます。
キリスト者の私達は、神の言葉として聖書を読みます。聖書は人の手によって書かれた者ですが、神様の御心がそこに働かれていることを私達は信じています。
そこで、神の言葉を理解するために、御言葉を聞き取る信仰の耳を必要とします。そのためにも、私達は、公に語られる教会の言葉、説教を聞き続けるのです。
今週の御言葉では、フィリポはエチオピアの高官の求めに応じて、聖書の説き明かしをします。エチオピアの高官が手にしていたのはイザヤ書ですが、フィリポはここから説き起こして、主イエスの福音を告げ知らせました。教会の説教で語られるべきことは、まさにこのことです。
キリスト者でない方も、ここにちょっと気を使ってみませんか。信仰のめで聖書を見、信仰の耳で聖書を聞くのです。それは、あなたに新しい発見をもたらすと思います。
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「美しい門」で起きた、癒しの奇跡の物語です。
生まれながらにして、歩くことの出来ないこの男には、人に助けてもらって神殿の門の前に座り、物乞いをすることしかすることがありませんでした。
生まれながら歩くことの出来ないと言うこと。それはすなわち、その人が罪を負っているためだと人々は考えていたのです。哀れなこの男に施しをすることで、人々は弱いものに対する憐れみをかけているとの自負を持ったかもしれません。
そこに登場するのが、ペトロとヨハネです。彼らは何をしたでしょう。
この物語の中心で活躍するのは、「見る」という言葉です。
5月15日、今年のペンテコステです。聖霊が、使徒たちに降り、彼らは力を受け、神のみ言葉をたかり始めました。そして、教会がこの地上に生まれたのです。



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