平和を願うもの
「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」(創世記 / 32章 27節)
ヤコブは一番最後に残りました。これから、兄エサウとの再会をしなければならない。兄と別れたのは、遙か昔のことです。兄が思慮に足りなかったとはいえ、長子の特権を奪い、母が勧めたからとはいえ、兄が受けるはずの祝福を奪ってしまったヤコブです。殺意を抱く兄の手から逃れて、長い時間がたちました。神様の命令に従って、故郷に帰るとはいえ、どうやってあの兄、エサウと再会したらいいのでしょうか。
ここでもヤコブは策を練ります。自分のキャラバンを二つに分けました。贈り物を先に行かせました。家族を先に進めました。そして、ヤコブは一番最後を行くことにしました。エサウの隊が襲ってきても、逃げることができると考えたのでしょう。
しかし、ひとりぼっちになった夜に何者かがヤコブを襲ったのです。多くの場合、この何者かを「神のみ使い」と人々は読みました。なかなか勝負がつかない中、御使いはヤコブの腿の関節を打ちました。ヤコブは立てなくなり、御使いにしがみついたのです。
「祝福をしてくださるまで放しません。」
ヤコブは御使いに祝福を要求しました。
ヤコブは御使いに勝ったのでしょうか。確かに御使いもいいます。
「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」(29)
そう、ヤコブは確かに、組み討ちでは御使いに勝ったのです。しかし、そこでヤコブが知らされたことは、真の勝利者は「神」だということでした。なぜなら「イスラエル」という名前は、「神は闘われる」「神は支配される」という意味だからです。
そうだ。私は神に支配されている。自分が今まで闘ってきた不安を、神が闘っておられたのだ。
このことを知らされたヤコブは、もう隊列の一番後ろから行く必要が無くなりました。先頭を行ったのです。(33:3)そして、平和のうちに兄との再会し、和解を果たしました。
わたしたちのうちにある不安、恐れ、疑いは、わたしたちに戦いを挑んできます。相手を疑う心、怖れる心が、不安を呼び、そこから逃れるために相手を打ち砕こうとします。しかし、わたしたちが本当に闘う相手は、わたしたちの中にある疑い、恐れ、不安ではないでしょうか。これらのものと闘う主イエス・キリストを知ったときに、わたしたちはひとりぼっちで疑う心から解放されます。怖れる心から解き放たれます。不安になるよりも、人と平和に歩む道を求めるようになるのです。
イスラエル。このすばらしい名前を持つ国で、残念なことに、今も血が流されています。そこに住む多くの人々は、真の平和を願い、力による解決よりも、話し合いによる和解を求めています。ただ、力が余りに強いので、その歩みはなかなか前に進みません。しかし、何よりもこのことを悲しみ、涙を流しつつ、闘って折られる神がいることを信じて、諦めないで祈りたいと思います。
一日も早く、この地上に真の平和がなりますように。
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