テサロニケの信徒への手紙一

2004.10.02

神の要求

どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケの信徒への手紙一 / 5章 18節)
kobito_tsuri.gifここに書かれている聖書の詞が好きだという人は結構多いと思います。特に16節-18節の詞を、自分の愛唱聖句としてもっている方は多いでしょう。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。
キリスト者の生活とは、なんと幸いなものでしょうか。
 しかし、「どんなことにも感謝しなさい」と言われているにもかかわらず、わたしたちの心の奥底にあるのはある種の不安だとも言えるのです。本当に、どんなことにも感謝できますか。いやな思いをさせられたことに対しても、感謝できますか。危害を加えられたことにも、感謝できますか。自分の最愛の者を失ったときにも、そのことを感謝をもって受け入れられるでしょうか。このようなときにわたしたちの心にわき上がってくるものは、呟き、怒り、悲しみなのです。感謝の心などはいる隙間さえないほどに、あふれてくるくらい心なのです。
 ここで大切なことは、神様は何もしないでわたしたちに出来ないことを望んでおられるのではない、ということです。
これこそ、キリスト・イエスにおいて
と記されているように主イエスに連なる故に、望まれていることなのです。その主イエスキリストは、十字架の上でどのようなことを経験されたでしょうか。主イエスは「神に見捨てられる」という経験をされたのです。それは感謝の心など、全く起きない経験です。「神様、どうして私を見捨てたのですか。」という呟き、怒り、悲しみの経験です。このような経験をされた方が、わたしたちのつぶやく心を、怒りの心を、悲しみの心を知らないはずはないのです。なによりもその悲惨さをご自身の身をもって知っておられるのです。この主により頼むときに、わたしたちは全てのことを感謝することが出来るのです。
 それは、無理をして感謝することではありません。呟き、怒り、悲しみを人に向けるのではなく、そのような心を主の前に正直にさらけ出して、「主よ、このような私をお助けください。」と祈ることから、感謝は始まるのです。

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