わたしの主、わたしの神よ
トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。(ヨハネによる福音書 / 20章 28節)
先日、上野の芸大美術館に、バルラハ展を見に行きました。19世紀から20世紀を生きたドイツの芸術家、エルンスト・バルラハの展示です。バルラハの晩年は、第二次世界大戦のまっただ中でした。ナチスから「頽廃芸術」として批判され、その作品はことごとく撤去されました。
バルラハの作品の一つ「再会(Wiedersehen)」も、「寝間着を着た2匹の猿」と評されました。しかし、この作品は、よみがえりの主イエスとトマスの再会の場面として、現在は紹介されています。主イエスとおぼしき人の手と足には、釘のあとかと思われる小さなくぼみがありました。その人に向かって、トマスが寄りかかっているのです。
この作品をまじまじと見ていて、はっと思ったことがあります。この作品の下敷きがヨハネによる福音書 第20章24節以下の記事ならば、トマスはこう言っていたはずです。
「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」 (25)
パルラハは、よみがえりの主イエスにあったトマスを彫像にしました。が、そのトマスは、主イエスの手と足に小さく作られたくぼみ、釘のあとには、目もくれていないのです。ただ、ひたすらに主イエスの顔を下から食い入るように見ています。目を見開いてみているのです。おそらく、この作品は、トマスが「わたしの主、わたしの神よ」といった、その一瞬を表しているのではないでしょうか。
トマスにとって、甦りの主に出会ったことは、夢のことでも、絵空事でもなく、現実のことでした。よみがえりの主イエスに出会うことは、それほどに確実なことなのだと、バルラハに教えられた一日でした。
エルンスト・バルラハ展は、2006年7月17日まで、山梨県立美術館で行われています。
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イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。ルカによる福音書 / 18章 31節
ルカによる福音書8章4-8節は、主イエスの話された「種蒔く人のたとえ」が記されています。そこには4つの種が語られています。道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった種、石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった種、茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった種、そして、良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ種。聖書を読むときに、「さて、私の種は、このうちのどれだろうか。」と、自分にアンケート調査を課してはいないでしょうか。



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