確かな言葉
こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。(ペトロの手紙二 / 1章 19節)
しかし、それは確かなものでしょうか。信じていれば、それなりにこうかがあるからと言うのかもしれません。ならば、それは心の問題です。
ペトロの手紙は、迫害の中にある教会に対して書き送られた手紙だと言われています。手紙の著者は、教会の人々に対して、「わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。」と書き送りました。
預言の言葉とは、神様のみ言葉です。神様から託されている言葉です。それこそが確かなものであり、これに注意を向けて、迫害を耐えて欲しいと励ましているのです。
この言葉は、私たちにもまた、語りかけている言葉です。世の中の様々なものが私たちを取り囲んでいます。「生きているうちなんて、ほんの夢のような一瞬なのさ。」と、悟ったことを言う人たちもいます。私たちの命は、そんなにも空虚なものでしょうか。違います。神様が生きるようにと息を吹き込んで下さった命です。ですから、私たちは空虚なものにすがるのではなく、確かなものに目を向けて歩むことを求められているのです。
明日の日曜日。教会は主イエス基督が死から復活された日、「主の日」として礼拝を守ります。その中で最も大切なことは、み言葉の説教です。私たちはみ言葉を聞く時に、罪を悔い改めて、新しい命に生きることを信じることが出来ます。
明日の主の日、各地の教会に於いて、主のみ言葉が正しく語られ、人々の上に祝福がありますように。
神様は、キリスト教徒が、ものを言わない偶像によってではなく、生きている、神様の言葉の説教によって、教えられることを望んでおられるのです。その神様よりも、わたしたちの方が賢いと思ってはなりません。(ハイデルベルク信仰問答 問98の答より)
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